低レベル倫理

極めて低俗で低レベルの倫理について論考する

食べることと殺すことは別である

殺しても食べないという例はよく知られている。例えば、人間が趣味の狩猟でライオンを殺す場合などである。この場合は、殺すけれども食べない。高尚な倫理を唱えるものは、これはよくない、食べるために殺すことは辛うじて許されることもあるが、食べないのに殺すことは絶対に許されないなどと主張する。

食べるが殺さないという例も実は一般的である。例えば、蚊が人間の血を吸う場合などである。これは寄生虫などに限ると思うかも知れないが、実は脊椎動物でも食べても殺さない例がある。ダルマザメというサメはクジラなどに噛み付いて肉をえぐり取って食べる。ダルマザメに肉をえぐり取られてもクジラにとって致命傷にはならない。クジラはそのまま生き続ける。高尚な倫理でこれを見た場合には、どうなるであろうか。殺していないから倫理的に望ましいと考えるだろうか。それとも殺さなくても食べるという行為自体が罪であると考えるだろうか。

対象が植物の場合には、食べるけれども殺さないというのはより一般的である。人間がバナナなどの果物を食べるとき、その樹木を殺すことはない。小鳥が木の実を食べてもその木は死ななない。それどころか、小鳥は種を拡散する上で役に立つ。しかし、果実の例だけではない。牛や馬が牧草を食べても牧草を殺すことにはならない。なぜならば、牛や馬は牧草を根こそぎ食べたりしないからだ。根が残っていれば、またそこから芽が出て茎が伸びる。牧草は死んでいない。旱魃などで食べ物が極端に少ない場合は、牛でも草の根まで食べることがあるかも知れないがそれは例外である。

しかし、人間が栽培している野菜や穀物は別である。人間は穀物を収穫すると、直接食べるわけでもない茎まで取ってしまうし、根も掘り起こしてその植物全体を殺してしまう。菜食主義者は自分の手を汚していないから、まるでこの虐殺に関わっていないかのような顔をするが、殺す必要のない殺害に間接的に関わっているのである。菜食主義者を含む人間が植物を食べるやり方と、牛や馬が植物を食べるやり方はまるきり違うのである。

低レベル倫理では食べることも殺すことも罪ではない。そもそも、罪とか悪という高尚な概念は低レベル倫理にはないのである。