低レベル倫理

極めて低俗で低レベルの倫理について論考する

地獄はなぜ存在するのか?

素朴に信じていた宗教の発達

なんとなく素直な心で根拠もなく信じていたのは次のようなことである。「死んだら人間はどうなるのか」という素朴な疑問がある。それは単なる好奇心から来る疑問ではなくて、「死んだらどうなってしまうのか」という不安でもあるだろう。

そういう不安に対して「死んだら天国に行くんだよ。天国はとてもよい所だから何も心配する必要はないんだよ」という回答をすることで「天国」や死後の世界という概念が生まれたのだと思っていたのである。宗教的救済というやつである。

f:id:llethics:20181118080655j:plain

天国 ---いらすとや

しかしそうすると、地獄という概念はどうして生まれたのか? これは思うに、宗教というものが誕生するとその威力は凄まじい。我々の宗教を信じれば、死後に天国に行けるとしてその宗教を広める。しかし、死んだら誰もが天国に行くとなると、宗教的支配者が「殺すぞ」と脅して人々を隷属させようとしても、それに反抗する人たちが「死んでも天国に行ける、殺されることなど怖くない」と言い出すようになる。「逆らうと天国に行けないぞ」と宗教的支配者が言っても、天国に行けないだけなら特に悪いこともない。これは支配者にとって都合が悪い。そこで「逆らうものは地獄行きだ」と言い出す。これで地獄が出来たのではないかと思ったのである。

f:id:llethics:20181118081521j:plain

地獄 --- いらすとや


ひねくれた宗教観

しかし、この逆も考えられる。まず、支配装置としての宗教が作られ、「逆らうやつは死後に地獄に落ちる」という脅しで人々を支配する。「悪いことをしたやつは死後に地獄に落ちる」という考えで人々の日常生活を束縛する。人々は地獄に落ちることにおびえながら生きていく。

この方法にも欠点があって、支配者が人々を戦争に連れ出そうとすると、多くの人は日常生活で罪を重ねているので、死(そして死後の地獄)を恐れて、戦争に行きたがらないのである。そこで、「(支配者の命令に従って)戦争で死んだものは天国に行ける」という概念を作って命令に従わせるのである。

このブログは宗教というより倫理であった

倫理についてはどうだろうか?(と問いかけて終わる)